沿革

東恩納寛量 先生(ひがおんな かんりょう)1853年4月17日(嘉永6年3月10日-1915年)

1853年那覇市に生まれる。「那覇手中興の祖」と呼ばれ、生来優れた武才の持ち主だったといわれている。少年時代から「手」に興味をもち、久米村の新垣世璋(せいしょう)に唐手(空手)をまなび,さらに中国拳法に魅せられ若くして中国福建省福州清(中国)にわたり,10年余修業へわたり拳法を修行した。帰国後は、「唐手東恩納」として勇名を馳せ、多くの若者が指導を仰いだという。明治26年ごろに帰国し,那覇を中心に唐手の普及につとめた。弟子に許田重発先生,宮城長順先生らがいる。剛柔流開祖宮城長順が東恩納寛量に師事したのは十四歳のころである。寛量の指導は、サンチン(三戦)の形を基礎とした非常に厳格なものであった。剛柔流では、「サンチンに始まり、サンチンに終わる」といわれるように、サンチンの形は修練上重要な鍛錬形である。1915年(大正4年)没。享年63歳。

宮城 長順 先生(1888〜1953)

空手道剛柔流開祖。1888年(明治21年)4月25日沖縄県那覇市の宮城家分家の長男として生まれる。1897年(明治30年)本宗家へ入籍、宮城長發の養子となる。宮城家本家十一世。1902年(明治35年)9月から1915年(大正4年)まで那覇手中興の祖東恩納寛量に師事、斯道を修める。1915年より1917年(大正6年)7月まで福建省福州府において当地の拳法を研鑽。師の訃報に接し一時帰国、師の葬儀全般を取り仕切るなど最後まで師弟一体の関係を貫いた。 その指導は、恩師東恩納寛量の指導同様きわめて厳格なものだった。入門を許してすぐに形を教えることはなかった。技量だけでなく人格・品性を重んじていた。また、空手道を修練するのにふさわしくない者は破門もした。宮城長順は漢籍の素養はもとより地理・歴史の造詣も深く、とりわけ薬種の知識、人体の生理に詳しく、常に医学的観点から空手道を研究していた。また従来の空手道指導法を理論と実際に照らして修練の順序、方法を定め、武道として体育として、精神修養の方法、健康法として科学的に組織体系づけた。東恩納先生の没後、それまで習得した、即ち沖縄で発達した「手」と、その源流であるところの「中国拳法」を改めて再編成すると共に、更に地方的土着の武技から、日本全土に通じる日本武道の一つとして昇華せしめるよう精神的、理論的体系を構成、名付けて剛柔流とされた。これは空手道において名乗られた最初の流派であり、武備志にある拳八句の中の「法剛柔呑吐身随時応変」(法は剛柔を呑吐し身は随時応変す)からの「法剛柔呑吐」に由来するといわれる。爾来、剛柔流空手道もって、沖縄はもとより日本全土における空手道の第一人者として斯道の発展普及に生涯を尽くされ、 1953年(昭和28年)10月8日に心筋梗塞で急逝した。享年65歳。聖賢とうたわれ、近代空手道の父といわれている。


宮城長順先生の遺訓

「人に打たれず 人打たず 事なきをもととするなり」


與儀 實榮 先生(1912〜1997)

沖縄県で生まれる。與儀實榮先生は幼少より剛柔流流祖宮城長順先生に師事。沖縄八木明徳先生ともに沖縄2中同級であります。先生の空手暦の中で京都の武道専門学校での宮城長順先生との演武(船越義珍先生の本にも紹介されています。)、大正15年連合艦隊チュンジュウ湾戦艦陸睦の船上で空手道の演武された事が歴史に残っています。又世界的に有名な(財)全日本空手道連盟元老山口剛玄先生に空手道剛柔流を指導され、二人で当時(当時柔術が強かった。又応援団長でもあった。)立命館大学の総長に直接談判して空手道部又財団法人全日本空手道連盟剛柔会設立の基礎を築かれた功績はまことに大いなるものがあり、感謝にたえません。今後我々與儀實榮先生のおしえを守り日本、アジア、世界へと沖縄剛柔流空手道を普及指導することによって世界の青少年の育成になれば万分の一でも先生に恩返しができると思っております。

宮里 栄一 先生(1922〜1999)

沖縄県で生まれる。12歳の頃から空手を始め以来、空手一筋の人生を歩まれました。戦後直後占領下の沖縄で空手道の指導にあたり昭和31年には沖縄県空手道連盟を組織し以来今日まで沖縄における空手道の発展に寄与されました。昭和62年、沖縄県で開催された第42回国民体育大会を氏の御尽力により大成功に導くなど、我が国の空手道の発展に大きく貢献され、その功績を称え平成5年には武道功労表彰が送られました。深利勝之会長(全日本空手道剛柔流会)とも親交厚く全日本空手道剛柔流会の現在の発展も宮里先生の御尽力のおかげといっても過言ではありません。

山口 剛玄 先生(1909〜1989)

鹿児島県鹿児島市にうまれる。立命館大学の空手道部を沖縄の與儀實榮先生と創設され、その後日本全土に於ける山口剛玄先生の功績は偉大なものがあります。空手道剛柔流の発展普及及び剛柔流指導者の育成又組織化、又全日本空手道連盟結成への御尽力、先生の数々の空手道への功績は、将来ますます評価されることと思います。

会長 深利 勝之 (1940〜)

鹿児島県姶良郡出身 東洋大学法学部 空手道部 昭和37年卒業 山口剛玄先生に師事。(財)全日本空手道連盟設立の創生者連盟元老山口剛玄先生より 埼玉県をおあずかりいたしました。(1970)現在会長深利勝之のもと、全日本空手道剛柔流会は、本部を埼玉県越谷市南越谷3-1-20に置き、県内支部道場、県外、海外にも支部道場を開設し、 毎年埼玉県空手道剛柔流選手権大会並びに年3回の昇段審査、海外セミナー等も実施している。現在、深利会長は全日本空手道剛柔流道場連盟会長、草加市空手道連盟会長でもある。

系譜図

全日本空手道剛柔流会 系譜図

SIDE MENU

All Japan Karatedo Gojuryukai English Site

全日本空手道剛柔流会HPロゴ

logo_karate

HP管理 剛柔流会本部事務局

since 2005/6/16 renewal 2012/4/1
本ホームページに掲載した写真、文書の転載は禁止します。